こんにちは、ようこそ、出石町へ。
岡山城は戦国時代に宇喜多氏が築き、江戸時代は池田氏31万石の居城でした。武家屋敷と商家が並び、寺院が点在して、堀割に緑蔭が映える岡山城下町は、明治期に赤煉瓦や石造の建築が加わり路面電車も開通しましたが、第二次大戦末期の昭和20(1945)年6月29日未明、米軍機の爆撃で灰燼に帰し、旧市街地北部の出石町と番町など、わずかな地域が罹災を免れただけでした(出石町でも南部の旧下出石町は被災しました)。
出石町は、岡山平野をうるおす旭川に沿って岡山城の北に細長く延び、高瀬舟の荷揚げ場として中国山地から運ばれてくる薪炭などを市中へ供給する商人の町でした。
明治17(1884)年に対岸の藩主の庭園が「後楽園」と命名されて一般に開放されると、鶴見橋で結ばれた出石町には土産物や団子を売る店が並び、門前の町として行楽客で賑わいました。西大寺軽便鉄道の後楽園駅(現在は夢二郷土美術館)と路面電車番町線の停留所(後楽園口交差点西の坂下)の間を歩いて渡る、市中と東郊を結ぶ交通の要衝でもあり、昭和5年には鶴見橋が、関西を代表する建築家、武田五一の意匠設計による現在のコンクリート橋に替わりました。
出石町には、重厚な瓦屋根が美しい明治期の木造町家もあれば、モルタル壁の浮彫でハイカラな洋館に擬した昭和初期の建物もあります。江戸時代の町人地に由来するため個々の敷地は必ずしも広くありませんが、都心の高密度居住が培った街並みとして歴史的にも貴重です。
この出石町に、国吉康雄【明治22(1889)〜昭和27(1952)年】が生まれ、
17歳で渡米し、20世紀のアメリカを代表する画家として世界的な令名を確立しました。彼は昭和6(1931)年に一時帰国し、故郷を訪れています。鶴見橋の
手前で路地を北へ少し入ったところに、金属工芸家の金谷哲郎氏が制作した生誕地の碑があります。
高度経済成長時代から盛んになった自動車交通で、出石町から昔日の賑わいが消え、町を分断して新鶴見橋が架けられました。しかしそういう時代だからこそ、文化的価値を損なわずに古い街並みを再生させる、後楽園の門前にふさわしい環境整備が望まれています。出石町に多い町家形式の商家には、通りに面して店舗の部分があり、ここは本来、さまざまな人が出入りする交歓の場でした。出石芸術百貨街は、町に眠っている機能を掘り起こし、人と人とが温かいコミュニケーションで結ばれるのを願って開催されています。
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